湊 かなえ『豆の上で眠る』を読みました。
湊 かなえの作品は初めてでしたが、評判も高く期待して読み始め、続きが気になって一日であっという間に読んでしました。
。。。正確には読まされた、という方がしっくりくる。そんな作品でした。
『豆の上で眠る』とは?
あらすじは以下。究極のミステリー。
行方不明になった姉。真偽の境界線から、逃れられない妹――。あなたの「価値観」を激しく揺さぶる、究極の謎(ミステリー)。
湊 かなえさんの代表作は『告白』、『母性』『ユートピア』。調べたところ、“イヤミス(読んだ後に嫌な気分になるミステリー)”というジャンルの第一人者だそうです。鬱ゲー・鬱アニメみたいなものか?
ミステリー自体ほとんど読んだことがない。そんな読書歴が浅い僕はイヤミスがどんなものなのかと思いながら、本書を手に取りました。
『豆の上で眠る』の感想
感想としては、タイトルの通り僕はあまり楽しめなかった。
続きが気になって仕方ない!問いよりもオチをなかなか教えてくれない焦らしがきつかった。「最後にあっと驚く事実が!」と言えば聞こえは良いが、意図的に情報を欠落させて焦らすのはまた違うのでは?と思ってしまった。
話や衝撃の事実自体はなかなか深いテーマも含んでいましたが、この構成のせいで素直に楽しめなかった。です。
ひたすら結論だけを先送りにした状態での自分語りされてうんざり
この本が面白いと思ったのは前半まで。中盤以降は途中まで読んでしまった時間が無駄にならないよう最後まで読んでオチを早く知りたい。ただそれだけの感情で読んでいました。正確には読まされたと感じました。
なぜそう感じたか。
序盤は本当に面白かった!主人公の結衣子が実家に向かう中で過去パートと現代パートがなん度も切り替わりつつ、全くストレスなく読めた。小さい頃の”万佑子ちゃん”との輝かしい思い出話。本を読んでもらったり秘密基地を一緒に作った思い出もどこか共感出来る。しかし、ところどころ出てくる”万佑子ちゃん”と比較して自分は見た目も中身も劣っていると感じる劣等感と憧れ。「ここからが地獄の始まりだった」「これが最後に読んでもらった本だった」などとにかく次への強い引きの言葉が気になる。一体どんな事件が起こるのだろう!ワクワクドキドキ。
そして本の紹介文にも書かれていた”万佑子ちゃん”が失踪する事件が発生。事件後も数年間家族が捜索し続ける様子が細かく描かれる。その間も時々挟まれる現代パートでは、主人公が”万佑子ちゃん”と”お姉ちゃん”とを意図的に使い分けてて、「”万佑子ちゃん”は結衣子の中だけにいるイマジナリーお姉ちゃんなのか?」「お姉ちゃんが記憶喪失して人格が変わったのか?」「変わったのはお姉ちゃんじゃなくて自分だったのでは?」などなど妄想は膨らむけど一向に答えは教えてもらえない。
結果、細かいエピソードとかどうでも良いくらい「お姉ちゃんと”万佑子ちゃん”はどういう関係なの?」が気になって気になってしまった。
そしてこの疑問の答えがわかるのは最後の最後。その間ずっとお預け。
正直失踪して一ヶ月経過したあたりで過去エピソードは飽きてしまった。現代パートで普通にお姉ちゃんがいる事から失踪後どこかで見つかっていることもわかってるので過去パートでいかに緊張感のある文章で捜索話を書かれていても「どうせ生きて見つかるのでしょう?」っと没入できなかった。
上の大きな疑問を投げっぱなしで答えが得られていないのに、延々と小学生の頃の思い出や近所の人の話、親戚の話など正直あまり関係ない事を事細かに説明されるのはなかなかしんどかった。「続きが気になって止められない」は褒め言葉だとずっと思っていましたが、悪い意味でも使うことがあるんだなぁ。
ミステリーだけど真実を推理するの無理じゃない?
ミステリーと謳われているけど事件パートだけでこの真相に辿り着くことは不可能である点も気になった。
誘拐犯は実は、、、父の同級生で産婦人科で働いている岸田弘恵という女性のお姉ちゃんである岸田奈美子だったのです!!
・・・いや、誰!?
ノックスがなんちゃらとは言わないけど、流石に反則やろ!知らない人すぎて逆に衝撃走ったよ!
これをミステリーって言ってしまって良いの?しかも究極の。美味しんぼの海原先生が悲しんでるよ!
僕の考えたさいきょうのミステリー()
なんというか、情報が欠落しすぎていて、小学生の子供が考えた絶対に解けない問題を解かされている徒労感のようなものがありました。
旦那さんが亡くなり今にも死にそうな誘拐犯でもある姉の最後の希望である赤ちゃん。赤ちゃんが健康じゃない場合に生きる希望がなくなる姉を想う優しい妹が犯した赤ちゃんの入れ替えという犯罪。入れ替えに気づいたお姉ちゃんは半ば強引?だけど同意?で本当の自分の子供を受け入れた。受け入れたことで弾かれた子は”お姉ちゃん”を演じる。入れ替わったと気づく主人公。このネタが絶対にわからないように肝心なところはマスクしたまま進むストーリー。
ややこしい設定を作って逆算的に話を考えて、必要なコア情報を穴あけて「解いてみろ?」。これが究極のミステリーなのか
ミステリーではなくホラーとしては面白いと思った
この本を読んで適切なジャンルを設定するのであれば、ホラーだと思った。この話で最もホラーなのは主人公なのではないかな。
文面だけを読むと「主人公の結衣子は豆の上で寝たら豆にも気づける”本ものの子”」「だからお姉ちゃんが偽物だということに気づけた」という話に読めるけれども僕は違うと思った。
結衣子はもっと大事なことに気づけていなかった。あるいは気づいていても気づかないふりをしていた。
それは家族の異常性。
本を読めばわかる通り、この家族は普通ではないことが窺い知れる。他人の家族のことなので良い悪いのジャッジはしないけど、とにかく普通ではない。家族は結衣子に関心がなさすぎる。そんな異常な環境の中にいても「本ものって何?」なんて悩んでいる状況が1番のホラー。
本書の例えでいうと「豆(異常)を大量に敷き詰めたベッドの上にシーツを何重にも重ねた状態で豆を一粒見つけて喜んでいる状況」だと僕は感じた。そんなところに寝て、「む!豆が1粒布団の下にあります!私気づいちゃいました!」と言ってる暇があれば、まずはもっと根管部分である家族環境についても考えた方が良いのでは?けど子供は親は選べないし気づかないふりをしている。そんな主人公が怖い。
そもそも「実は主人公の結衣子が異常だった」説もあるのでは?
もっと書くと、主人子の結衣子が異常だった可能性もあると思った。
この本の中で出てくる情報は資料やレポートなど事実を除くと、全て結衣子の目を通して描写されている。つまり結衣子が誤認していれば読者も誤認することになる。そしてその結衣子はどこにもいないイマジナリー”万佑子ちゃん”を抱いて最後は壊れてしまったくらい結衣子は脆い人間。そんな人間の目を通して見た世界をそのまま受け入れて良いのだろうか。
例えばこれ、本当だったのかな。と今になって振り返ると感じる。
- お姉ちゃんばかり優遇して結衣子には冷遇していた母親
- いつも本を読んでくれて優しい”万佑子ちゃん”
- 結衣子の見方で同様に”姉”が偽物だと疑っていた母方の祖母
冒頭から最後まで結衣子は自信を「成績は優秀では。容姿も比較して悪い。」など劣等感を抱いていた。この劣等感が勝手に母親像を作り上げていたのではないか?本当に母親は失踪前は褒めてくれなかったのか?
それに”万佑子ちゃん”。本当にいつもこんな優しくて妹想いだったのか?本当か?体調は悪いけど健気で可愛い憧れの姉の像。しかし、現代パートのハルカさん(昔の”万佑子ちゃん”)の話を聞く限り、文中で主人公が描く妹や家族想いの優しい長女だとは思えない。8歳で半ば誘拐されたのに「実の母は違った」という事実を聞いただけで簡単に今まで育ってきた家庭を捨て去ることができた。そんなこと出来る8歳がいるとしたら、間違いなく家族が異常で抜け出したいとずっと思っていた。としか考えられない。
この異常な一家の中で、ハルカは一人「私はこの家の子供ではないのではないか?」と考えていたのではないか?母親からの過度な期待やまとわりつく妹。その期待に答えるための努力。全て辛かったのだとしたら納得できるなぁと。
この本を文字通り信じて読むならば「主人子の結衣子は聡明で豆の上では眠れない、姉が偽物であることを見抜けた”本もの”。周りは扱いが可哀想!」となるのだけれども、上記のように捻くれて見てみると、状況を正しく認知できていなかった主人子の結衣子は「豆の上でも眠ることが出来る偽物だった」ということに。
文章に書かれている通りの内容と、捻くれた僕が感じたこの仮説のブレがまさに「読んだ後に嫌な感じが残るミステリー」の正体なのかもしれない。そう思うと一周回って湊 かなえはすごいのではないか。と思ってしまうのでした。
皆さんはどう感じました?